実は10年以上製作に参加していないので、当時のやり方ですが...
1 | ベニヤ板を4枚用意する。犠牲者(^^)を一人用意する(体重の重い人がいい) |
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2 | ヘルメットを犠牲者にかぶらせる(重要!) |
3 | ベニヤ板で犠牲者を閉じ込める(四方を板で囲ってしまう) |
4 | 集団で上から雪を放り込む(ほとんどリンチ(汗)) |
5 | 犠牲者は雪を放り込まれた雪を踏み固める。このときベニヤ板が倒れない用に注意する。 |
6 | 雪がベニヤの天井まで来ると、犠牲者が出て来れるので、病院に連れて行く。 |
7 | 完全に固まるまで1〜2晩放置する |
8 | 固まったら、ベニヤを外すと雪の立方体ができる。ちなみにこれを「とうふ」と呼びます。 |
9 | 器用な人を連れてきて灯篭の形に削ってもらう |
7の病院は冗談です(^^)
元々は越後を所領にしていました。初代謙信が急死した後、会津(福島県)へ移封され、二代景勝「関が原の戦い」で西側(豊臣家)について戦ったため米沢に30万石で移封され、三代綱勝が後継ぎを決めずに亡くなったため、さらに15万石に半減されました。
その後、藩士のリストラもしないまま藩を続けたため、財政が逼迫し八代重定は幕府に封土の返納まで考えたほどです。そこで養子の治憲(隠居して鷹山)が抵抗勢力(元老や家臣)を排し、「財政再建」「構造改革」を推し進めて、鷹山が没後に成果がでて借財も解消されました。
(なんか、今の日本と同じですね... 歴史は繰り返すということか...)
なお上杉鷹山は「一汁一菜」をモットーとし、「大倹約令」を出し「祭り」も禁止してしまったため昔から続く祭りというのは、(幕府直轄領を除いては)米沢には無いのです(俗説)
おかげで米沢の祭りはほとんどが「観光用に作った」祭りばかりです...
撮影地:山形県米沢市 撮影日:2002年2月10日
2002/02/13